こんにちは。

盛岡せんぼくバランス治療院の院長

中村守(ナカムラ マモル)です。

盛岡せんぼくバランス治療院は、「はり師」・「きゅう師」の国家資格者である院長が、完全に手技のみで施術する整体院です。

盛岡せんぼくバランス治療院・はり師・きゅう師

中村 守(ナカムラ マモル)

1961年(昭和36年)1月26日

盛岡市生まれ

岩手県立盛岡第四高等学校卒業

日本大学文理学部哲学科卒業
日本大学文理学部哲学科・修士課程中退

北東北東洋医療専門学校卒業

厚生労働大臣認定「はり師」・「きゅう師」

2010年1月22日(橋本敬三先生の命日)「盛岡せんぼくバランス治療院」開業

治療院を開業したきっかけ

わたしはもう10年以上前のことになりますが、ひどい坐骨神経痛をわずらいました。

40代の前半のころです。

整形外科では「椎間板ヘルニア」と診断されたものの、これといった処方も治療もしてもらうこともなく、ひたすら痛みを我慢する日々をおくりました。

この時のいきさつは、このサイトのトップページにくわしく書かせていただきました。

整形外科がだめなら、民間療法ということで、整骨院からマッサージ、整体院、あちこちはしごをして駆け回り、なんとか治してもらおうと治療院通いを続けました。

けれども、どこにいってもわたしの坐骨神経痛を治してくれる治療院はなく、とうとう治療院かよいを止め、自力で治すことを決意しました。

それから、市内の本屋さんにかけこみ、それこそ片っ端から「腰痛」の治療本を手にし、よさそうな本をみつけると買い込んで、自分で試してみる、という生活を始めました。

その時出会った一冊の本。操体法を名乗る本を試みたなら、わずか二週間ほどでわたしの坐骨神経痛は完治しました。

そう!わたしはどこの治療院でも治せなかった坐骨神経痛を自分の力で、独力で、自力で治すことができたのです。

この時わたしは思ったものです。

「わたしはこれまで通ったどこの治療院より腰痛、坐骨神経痛を治す技術が優れているのだ!」と。

「どこの治療院よりも優れた技術を身に着けたのだ」と。

この技術をこのままにしておく手はない、本格的に治療を学ぼう、と決意し、「はり・きゅう」学校の専門学校に入学する決意をしました。

「はり・きゅう」学校での学び

「はり・きゅう」学校では、東洋医学、いわゆる「つぼ」を学んだばかりではなく、東洋医学の基礎、考え方を身に着けました。

また西洋医学の解剖学・生理学・運動学などなど、厚生労働省が定める、カリキュラムを学びました。
<はり師免許証>

<きゅう師免許証>
「はり・きゅう」学校で東洋医学と西洋医学の基礎を学んだことは、やはり有意義で、現在の整体院での施術の基本・基礎となっております。

まちなかには、「整体院」やマッサージ店を名乗るお店が乱立しているわけですが、このようなお店の多くは、実は無資格の方たちが施術していることが多いものです。

しっかり3年間東洋医学と西洋医学の基礎を学んだことは、このようなお店とのおおきな「ちがい」だと自負しております。

操体法を本格的に学ぶ

「はり・きゅう」学校に通っている間も、わたしの坐骨神経痛を治した健康法である操体法のことは一時も忘れることはなく、常に操体法の本を読み、独学しておりました。

「はり・きゅう」学校を卒業しても、治療は、「はり・きゅう」ではなく、この操体法でやっていきたいと考えておりました。

なぜなら、わたしの坐骨神経痛は、「はり・きゅう」治療を受けても治ることはなく、ただ操体法のみが治すことができたからです。

「はり・きゅう」治療より、操体法の方が、治療効果の高い技術であると確信していたからです。

本物の操体法を学びたいという気持ちはありましたが、「はり・きゅう」学校の3年間は、わたしにとっては、あまりにも忙しすぎて、そのような時間、機会をつくることができませんでした。

盛岡せんぼくバランス治療院を開業してまもなく、念願かなって、操体法の創始者・橋本敬三先生の最後の愛弟子・今昭宏先生のもとで操体法を学び始めました。

<仙台操体医学院・修了書>
今先生が開設した操体法の指導者養成施設である「仙台操体医学院」も修了いたしました。

修了したあとも、引き続き通い学びを続けております。

操体法は常に進化し続ける治療法であり、わたしの治療技術である「筋膜・骨膜リリース」も今先生のもとで学んだ技術が基礎となっております。

学びに終わりはありません

医学が日々進化していくように、治療技術も日々進化していきます。

現在の治療、施術にとどまることなく、常に学びの姿勢を忘れず、知識の面でも、技術の面でも学びを続けていきたいと肝に銘じております。