橋本敬三先生(明治30年福島市生まれ~平成5年1月22日没)は「操体法」の創案者でありますが、その施術の創案ばかりではなく、その根底には、橋本哲学ともいうべき、人生観、生命観があります。

その哲学は橋本敬三先生のお人柄とともに、たくさんのお弟子さんたちを、また、新たに操体法を学ぶ者たちを魅了しつづけます。

この橋本哲学にふれることで、「カラダ」ばかりか「ココロ」までも、幸福感にみたされることになると私は信じております。

残念なことに、私は直接、橋本先生の教えを受けることなど、できませんでしたが、先生の著作から操体法を、そして橋本哲学を学ばせていただきました。

そんな哲学の一端を私なりにまとめさせていただき、ご紹介させていただきます。

この哲学を一言でまとめますと、

「この世は極楽だ~!」、です。

ほら、なんだか、元気が出てきたでしょ?

*ここでの引用はすべて、「生体の歪みを正す・橋本敬三論想集」(創元社)によっています。

思春期の苦悩

「その頃の苦悩は深刻で、飯も喉につかえて通らぬ日がたびたびであった。

自己批判や及落の不安や恋愛のことや二重三重の苦しみを味わって、宗教などと無関係に平気でやりたいことを大胆にやっている人々がうらやましかった。

五年間苦しんだ。
「医学生になってからの或る日、無名の牧師・平野栄太郎氏から、エペソ書にある

「世のはじめの前より我らをキリストのうちに選び、、、

愛をもて己が子となさん事を定め給えり、、、」

という聖句を教えられて、豁然(かつぜん)として目が覚めた。

何と、自分はすでにすでに救われていたのだ。

それ以来四十年、全く呑気になった。あまり取越し苦労をしたことがない」。(「生体の歪みを正す」・「呑気者」P364)

悟り」と「救い」

青年期の悩み、苦悩からの気づきと救いについて、このように橋本先生は書いております。

苦悩している、自分というのは、実はいま、ここで「救われて」いるのだという気づきです。

「自分は生まれぬ先から、聖別され祝福された神と同格の永遠の生命そのものであるとの自覚を得たのであった」。(同書P376)

そして救いとは、
「救いは自己単独における観の転換により悟ったものである」。(同書P376)

つまり、俗っぽく言い換えるなら、「自分が救われていること」を

自分の見方、考え方がかわることで、悟ることができた、実感できたということを表明しているわけです。

これが救いです。

それでは「苦」とは?

それでは橋本先生を苦しませた悩みとは、人は誰でも抱く「苦」とはなんだったのでしょうか?

「一切の業障海(ごうしょうかい)は、皆妄想より生ず」と

観普賢菩薩行法経に言う。

無常の現象界にはさまざま嫌なことも起こる。これは自らの迷妄の影である。

やがては消えて実相の影がまたさしてくる。

どんなことが起こってもヘイチャラだ。きっとよくなる。」(「生体の歪みを正す」・「呑気者」P366)

また、次のように言い換えています。

「人間苦の最たるものは妄想苦であって、現実にぶつかって知る苦痛というものは、それに比べれば大したものではない」。(「同書」・「心の調和」P376)

こうなりますよね。この世の一切の「苦」というのは、そこに、実際にあるものではなく、実は「私」が自分でうみだした「妄想」にすぎないんだ。

自分で自分の妄想を生み出し、その自分がつくった妄想に苦しめられているということです。

これが一番苦しい。現実にそこにある「苦」なんて、たいしたもんじゃない。

けれどもその「私」が永遠の実相のもとで、「救われて」いることを自覚したならば、苦しい「妄想」など生まれるはずがない。

救われて、祝福にみたされていることを知ったならば、「妄想苦」など、祝福に満たされた自分がうみだすはずはありませんからね。

うみだす「妄想」はひたすら、感謝にみちた、幸せにみちた「妄想」ばかりにちがいありません。

ですから、「ああ、この世は極楽だ~」となるわけです。

人間ーこの動く建物

それでは、この極楽で生きる人間の私の「カラダ」の構造とはどのようにできているのでしょうか?

「単純な家屋構造にたとえよう。

四つの土台の上に四本の柱を立て、屋根を合掌で組み合わせ、中央を棟木でつなぎ、屋根を葺き、天井を張る。

この棟木の前方に頭を付け、後方に尻尾を付ければ、四足の哺乳動物となる。

前方合掌は肩甲、後方は骨盤に当たる。

内臓は屋根裏にセットされ、中枢神経の脊髄は棟木の管腔を貫くし、自律神経はこれに並行する。

人間はこの動物が直立したものである。

この建物が動くのである。しかも連動する」。(「生体の歪みを正す」・「微症状」P6)

そうです。動く建物、動く「お家」。これが人体です。けれども、これは直立してますけどね。

直立したグラグラ動く「お家」。これが人体です。

息・食・動・想

そして、この動く動く建物を、自分で律する、つまり自分で制御できる行為は「息」・「食」・「動」・「想」だと橋本先生は教えます。

「息」

「息」。

つまり呼吸することです。

あたりまえです。

呼吸できなければ、人は酸欠になり、死んでしまいます。その呼吸を意識的に行います。

「腹式呼吸がよい。夜床に入り眠る前に、膝を立て、手を下腹に当て、腹をへこませながら息を吐ききる。吸うときは自然に充分吸う。吐く息を長くゆっくり」。

「食」

「歯の種類と数に注目、これに比例させるように食物の種類と量を摂る。

すなわち、野菜(前歯)8、肉類(犬歯)4、雑穀堅果類(臼歯)16の割合で、肉食は七分の一でよい。

動物食過剰は不自然で、食物食を主とするのが自然である。

このようにして食べると不自然なものが嫌になる」。

「動」

「体の動かし方にもまた法則がある。

運動の根本は体の中心(腰)に重心を安定させてやることである。

そのためには、上肢では手の小指側に、下肢では足の親指側に、力を入れるように動くとよい」。

「想」

「自然界に生を受けたものは、これに適応する素質を与えられている。

この恩恵を認識できれば感謝の念が湧く。

感謝のない人生ほど悲惨なものはない。

常にこの恵まれていることに心を配り、探し求め、気が付いたら、そのことを口に出して感謝せよ。

心は明るく嬉しくなり、行動も親切になる。

運命は好転する。

運命は口から出す言葉の方向に進むという法則に従う」。(「生体の歪みを正す」・「生き方の自然法則」P36)

*四つの営みに環境を加えた五つは、いつも同時相関しているから、生き方を法則に従わせれば適応して健康になる。

橋本敬三哲学のまとめ

この世に生を受け、この生がすでに祝福に満たされていることを悟った、私たちは、さらに日常生活の生き方の自然法則、「息」・「食」・「動」・「想」により自分を律する術を学びました。

さあ、そして、橋本哲学のまとめです。

「だから有難いってことをわかるのに知識が必要なんだよね。

だから基本は気持ちのいいことをね、勘を鋭くしなくっちゃ。

気持ちがいいってことになれば自然と安心するしね、愉快になるし、結局最後には有難いって思わなきゃ。

有難いって思わないことに気がつくと懺悔したくなるんだ」。

「気楽ですよ。そういう風に極楽ん中にいるんだけども、自分で地獄にいるど思ってるだけの話なんだがら。

神様だか仏様だか知らんけれども、つまりこの宇宙をつくって、そこに生命をつくっておいて下さる方はね、

ほんとうに極楽で楽しめよって

言われているのにね、自分で突っ走ってアッチぶつかったり、コッチぶつかったりして怪我してんだから、人間なんてそれだけのことなんだ」。(「生体の歪みを正す」P465)

そして、師匠の今昭宏先生はおっしゃいます。

「この世は極楽、あの世も極楽」。

う~ん、もうこの世に怖いものなどないな!

さあ、祝福にみたされたこの世の極楽を楽しみましょう。

これが、橋本敬三哲学の極意だと私は考えます。

「大丈夫だ~!」